
三田市を拠点に事業や活動をされているさまざまな「人」をピックアップし、その活動や個人の魅力を掘り下げてご紹介する【三田と人】。これまではYouTubeチャンネル「さんだびより動画部」の企画でしたが、これからはWebサイトの記事としても展開していこうと思います♪
第4回となる「三田と人」でお話を聞いたのは、三田市下内神に本社を置くフリーズドライ食品メーカーの「コスモス食品」で、営業部長などを兼務されている「圓井大輔」(まるいだいすけ)さんです!今回の記事は、そのインタビューの前編をお送りします。
スポンサーリンク
第4回「三田と人」のターゲットはコスモス食品の若きリーダー「圓井大輔」さん!

コスモス食品さんといえば以前、オンラインショップを担当している「NB事業部 EC企画」の皆さんにインタビューさせていただいたことがありました。皆さんの仕事に対する熱量の高さや会社への愛情の深さがホントすごくて、ポジティブでイキイキとしたパワーに満ちあふれていたんですよね。
なんだかこちらまで元気を分けてもらえたような取材だったのを、よく覚えています。

「フリーズドライ食品」のトップランナーでもある企業が三田を拠点にしているのはもちろん、「こんなにもエネルギッシュで、ベンチャー感あふれる企業が三田にもあったんだ!」と、個人的にもちょっと嬉しくなってしまいまして(笑)
三田市の魅力を伝えるメディアとしては、コスモス食品さんの企業としての魅力をもっと地域の皆さんにお伝えしたい!と思い今回、前回の記事でもお世話になったディレクターの永野さんと、その上司でもあり現社長の御子息でもある、圓井大輔さんにご登場いただいた、というわけです。
フリーズドライってなに?

と、その前に「フリーズドライ」についてまだよく知らないという方のために、ちょっと簡単におさらいしておきましょうか。フリーズドライとは、凍らせた食品を真空凍結乾燥機と呼ばれる機械で真空状態にして、水分を昇華させて乾燥させる技術のことです。
そのままの常温でも保存ができるため保存料や添加物などは一切使わず、乾燥させる際に熱を加えないので食品が持つ本来の風味や食感、さらにはビタミンなどの栄養素も、DNAレベルでほぼ復元させることが可能なんです。
水分が飛んでいるので、軽くて持ち運びもラクラク。お湯をかけるだけですぐに戻せるお手軽さも魅力ですね♪
そんな、三田市を代表する企業の「コスモス食品」さんですが、実は今日に至るまでにめちゃくちゃ大変な苦難を乗り越えて来られたそうでして……。先ずはそのあたりのお話から、圓井さんに聞かせていただきました。
なぜ、三田でコスモス食品が生まれたのか?

——以前からずっと疑問だったのですが、コスモス食品さんほどの最先端技術を保有するグローバルな企業が、なぜ三田市という地方都市で創業して、今でも本社を置いてらっしゃるんですか?
圓井 コスモス食品を創業したのは私の祖父なんですけど、祖父は8人兄弟の末っ子でして。元々はその兄弟たちで経営する、耐圧試験機とか理化学機器などを取り扱う「圓井製作所」(現:株式会社マルイ)というメーカーで働いていたんです。
そこで営業部長とか経理とか工場長まで務めたらしいのですが、経営面でなかなかお兄さんたちと意見が合わなかったらしいんです。祖父は当時からかなりチャレンジングな性格で、いろいろやってみたい!と考えるような人間だったのですが、逆に他の兄弟たちはかなり保守的だったようで(笑)
そんな悶々とした日々を過ごしながら1960年代になり、1969年にアポロ11号が月面着陸したというニュースを祖父が見て……
「これからは宇宙大航海時代が来るかもしれない!圓井製作所の科学機器製造の技術を使えば、フリーズドライの宇宙食が作れるんじゃないのか?よし、宇宙食を作ろう!」
という、これまた祖父のチャレンジングな発想が元で創業したのが、このコスモス食品なんです。
——あーなるほど!宇宙食を作る企業だから「コスモス食品」という社名になったんですね!
圓井 はい、実はそうなんです。それで、曽祖父の時代から住んでいた三田市で創業をして、そのまま現在に至るというわけなんです。ですが、特に創業当初は運転資金に余裕がなくて、本社を都会に移転したくてもできなかった、というのが正直なところかもしれません。
最初のフリーズドライ食品は全く売れずトラブルも重なり倒産寸前だった
——ええっ、そうなんですか?!それは意外でした。ちなみに創業してからは具体的に、どのような経営状況だったんでしょうか?
圓井 フリーズドライ食品を作ろう!となって最初に作った商品が「山芋のとろろ」でした。圓井家では、お正月の三が日で山芋のとろろを食べる習慣があるんですよ。とろろってすごく美味しいんですけど、すり鉢でするのがとにかく面倒だし手もかぶれたりするので、作るのが大変じゃないですか。

なので、あれだけ作るのが大変なとろろが、お湯で戻すだけでサッとできちゃうのであればこんなに便利なことはない!と思って商品化したんですけど、それがまぁ、ビックリするぐらいに全然売れなかったらしくて。
販売先としては旅館とかホテルとかの宿泊施設で、朝食に使ってもらえたらと思って売り込みをかけたけど、当時はフリーズドライというもの自体がほとんど世に出回っていなかったので、「何だこれ?単なるインスタントじゃないか」って、まったく受け入れられなかったんです。
あとはまぁ、うちも当時はそこまでの技術力がなかったというのもあるんですけどね。
それだけではなく、創業して間もない頃に会社の事務所が火事になったり、1970年代のオイルショックがあったりして、もう運転資金が底をついちゃって。自分たちの貯金を切り崩して従業員に給料を払う、みたいな時代もあったんです。
ホントもう、いつ倒産してもおかしくないような状況だったみたいで、わたしも子どもの頃に「明日もう会社潰れるぞ」みたいな親の会話を、よく聞かされてました。
スポンサーリンク
どのようにして危機的状況から持ち直したのか?

——なんだかもう、踏んだり蹴ったりな状況だったんですね……。でもそんな、いつ倒産してもおかしくないような危機的な状況から、どのようにして経営を持ち直されたんですか?
圓井 そのあたりって高度経済成長の時期でもあって、その頃に爆発的に普及したカップ麺やお茶漬けの素なんかで使われる「かやく」に、フリーズドライが使われるようになったんです。なのでうちのフリーズドライも、いろんなメーカーさんからすごく注目され出したんですよね。
ちなみに、有名な某大手企業さまとは当時、祖父の家に何週間も泊まり込んで商品開発してた、って話も聞いてます。
コスモス食品は元々、自社商品を売る会社だったんですけど、いつしかガッツリOEM(他社製品の製造)をする会社になっていて。うちは当時、本当に資金力がなかったのでCMも打てないし、知名度がないからスーパーで置いても売れない。
でもその点、大手さんの資金力や販売網があれば、うちで手掛けた商品もどんどん売れていって、何千万や何億ってお金が動いたんですよね。
そのおかげもあって、会社は危機を乗り越えてどんどん大きく成長できたんです。ただ当初の「自社製品の宇宙食を売るぞ!」といった、祖父のチャレンジングな発想はどんどん薄れていってしまって、「楽しい」しいから「楽(ラク)」な方に行ってしまったなぁ……という反省はありますね。
——それでも、会社を存続させるためには、ある程度の変化は受け入れないと致し方ないですよね……。
圓井 そうですよね。でも実は、うちの危機はこれだけじゃなかったんですよ。ねぇ、永野くん(笑)
永野 やーそうでしたねぇ、大輔さん(笑)

と、今回のインタビューはここまで。一体、どんな危機があったのかメチャクチャ気になる!あと、圓井さんご自身も入社してすぐに、かなりチャレンジングでブッ飛んだご経験をされたんだとか!そのあたりのお話も含めて、続きはまた後編で。
そんなコスモス食品さんでは現在、製造業務スタッフを募集しています!若い力とアイデアで満ち溢れていて、毎日がワクワクするような職場で働いてみたいという方はぜひ、チェックしてみてくださいね♪
